「生活を豊かにする知恵」Vol.2(9月9日は「重陽の節句」です。)
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9月9日は「重陽の節句」
本日9月9日は「重陽の節句」ということで、今回は「重陽の節句」についての記事にしようと思います。
そもそも節句とは何か?と聞かれたら、私は「そう言われると、何だろう?」と即答できません。
「節句」とは、中国の陰陽五行説に由来する季節の節目となる日ことです。
諸説あるようですが、日本へは飛鳥時代から奈良時代にかけて、伝来し定着しました。
元々は一年間に様々な節句が存在していましたが、江戸幕府がこれらの節句のうちの5つを公的な行事・祝日として定めました。
この5つの節句が現在「五節句」と呼ばれています。
「五節句」とは、
◎一月七日 人日の節句(じんじつのせっく)
◎三月三日 上巳の節句(じょうみのせっく)
◎五月五日 端午の節句(たんごのせっく)
◎七月七日 七夕の節句(たなばたのせっく)
◎九月九日 重陽の節句(ちょうようのせっく)
を指します。
この中で「重陽の節句」だけあまり有名ではないような気がします。
五節句のうち、本日9月9日は今年の最後の節句です。
この締めくくりの節句「重陽」について知っておきたいなと思いました。
まずは「重陽の節句」をWikipediaで見てみました。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。
奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。
後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。
出典元:Wikipedia
他には、このような記載もありました。
数字は、1〜10であらわされ、最も大きな数は「10」です。
古代中国では、頂点を極めると、後は後退していくだけなので、頂点を最高とするのはよくないという思想がありました。そこで、最高の数は、「10」ではなく「9」とされました。この最高の数が2つ重なるのが、9月9日「重陽の節句」です。いいことが重なる日とされています。
庶民の間では「お九日(くんち)」と呼ばれて親しまれ、秋の収穫祭と合わせて祝うようにもなりました。九州地方で有名な「長崎くんち」「唐津くんち」などはその名残です。
出典元:MYLOHAS
両者の見解は、似て非なるもののようですが、どちらも「9」という数字をある意味極端な数字として捉えています。
「陰陽五行説」に加え、「中庸」思想のある中国では、バランスを重んじます。
そのため、「陽が極まる」『9』という数字を良くも悪くも特別な数字と考え、9月9日を節目と考えたのだと思います。
「重陽の節句」と菊の花
先ほど出てきた「五節句」には、
◎一月七日(人日の節句)は七草の節句(ななくさのせっく)
◎三月三日(上巳の節句)は桃の節句(もものせっく)
◎五月五日(端午の節句)は菖蒲の節句(しょうぶのせっく)
◎七月七日(七夕の節句)は笹竹の節句(ささたけのせっく)
◎九月九日(重陽の節句)は菊の節句(きくのせっく)
とそれぞれ、和名があります。
「重陽の節句」は菊の花です。
何故菊の花かというと・・・
元来は「重陽の節句」は旧暦の9月9日に祝われていました。
旧暦の9月9日というと、現在では10月末から11月にかけての、月見の4日前に当たる日を指します。
今の9月9日であれば、まだ菊の花はつぼみで「菊の季節」のイメージはないため、あまり「菊の節句」という感じはしませんが、旧暦の9月9日は菊の見頃だったようです。
「重陽の節句」の風習
「重陽の節句」ではいくつかの風習があるようです。
✔︎菊の花びらを浮かべる菊酒を飲む。
✔︎菊の被せ綿(きせわた)と言って、綿を菊の花の上に被せておき、綿にたまった露で体を拭うことで、健康と長寿を願う。
✔︎芳香のある植物を身につけ邪気を払う。
✔︎「桃の節句」で飾った雛人形を虫干しを兼ねて飾る。(「後(のち)の雛」というようです。)
✔︎「栗ご飯」を食べる。(庶民は栗ご飯でお祝いしたことから「栗の節句」とも呼ばれているそうです。)
ちなみに、どうして菊の花が長寿と繋がるようになったかというのは、能の舞台にもなっている『菊慈童(きくじどう)』という言い伝えがあるようです。
簡単に「菊慈童」をご紹介します。
周の時代のお話です。
周の穆 (ぼく) 王に仕え、王からとても可愛がられていた慈童という名の童子がいました。
ある日、慈童は誤って王の枕をまたいでしまいました。
当時、王の枕をまたぐのは死罪にあたりました。
王は慈童を守りたかったのですが、王が自ら法を破るわけにはいきません。
そこで、王は泣く泣く慈童を流刑に処しました。
その時、王は形見として枕を慈童に渡しました。
それから700年が経った魏の時代。
酈縣山(れっけんざん ※現在の中国 河南省にあるとされる架空の山のこと)の麓から、霊妙な薬の水が湧き出したという噂が広まりました。
時の王は真相を確かめるべく勅使を送りました。
勅使が送られた季節は秋。
酈縣山を入っていくと、この世とは思えないくらい艶やかな菊の花が咲き誇る中にひっそりと一軒の庵がありました。
庵の中にはとても美しい少年がいました。
その少年は周の穆王に仕えていた慈童と名乗りますが700年も経っているので、誰も信じません。
慈童は証拠にと、王から賜わった枕を見せました。
王の形見の枕には法華経の経文が添えられていました。
慈童が700年もの間生き続けることができたのは、この経文を菊の葉に書き付けたところ、そこから滴る露が霊薬となり、不老不死の身を得たからだったのです。
このいい伝えにより、菊の花と長寿が繋がり、秋に咲き誇る菊の花で、季節の節目に邪気を払って健康と長寿を祝ったのが「重陽の節句」のようです。
最後にたまたま2017年11月に新宿御苑開催されている「菊花壇展」を通りがかった時に撮った写真があったので、見ていただけたらと思います。
今回も最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
古来より節目節目にこれまでの生活に感謝し、健康を祈る「節句」を大切にしてきたんだなぁと改めて学びました。
そして、本日は「陽が極まる」とされた9月9日。
私は今日は帰りに菊の花を買い、「栗ご飯」を食べて、ゆっくり心身を休める日にしたいと思います。
明日のブログはお休みにしようと思います。
また明後日、ご覧いただけたら嬉しいです。
皆様もそれぞれの「重陽の節句」をお過ごしください。皆様の健康を願っています。
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