Dr.Kのあゆみ

Dr.Kのあゆみ Vol.12(院内ミュージカル)

院内 ミュージカル

Dr.Kのあゆみ Vol.12(院内ミュージカル)

今回のブログはこれまでの「Dr.Kのあゆみ Vol.1~11」の続きになります。
「Dr.Kのあゆみ」シリーズVol.1はこちら
「Dr.Kのあゆみ Vol.11」はこちら

念願の院内ミュージカルに出演!


今回は、私が研修医先の病院を決定するきっかけになった院内ミュージカルについて書いてみようと思います。院内ミュージカルは、私の病院が行っているものではなく、病院や特別支援学校、高齢者の福祉施設でオリジナルのミュージカルを上演するNPO法人の団体が上演しているものでした。そのNPO法人を立ち上げたのは、私と同じ病院で初期研修医を終えた先輩女性医師でした。病院で患者さんに笑顔を届けたいという思いから、病院でミュージカルを上演したいと今から約15年前に始めたのです。その団体に所属するメンバーは業種・職種を問わず、活動に賛同するメンバーで構成されており、私たちは、私たちの病院で実施する公演にのみのメンバーとして参加をしました。後で聞いたのですが、最初は病院側から、「医者のカラオケ大会に患者さんを付き合わせるとは何事か」などと言われて反対され、歓迎されないまま始めたそうです。毎年続けていくうちに、患者さんも楽しみにしてくれ、徐々に病院側も恒例行事として、迎えてくれたようです。私が病院に就職した年には、もうすでに立派な年間行事として定着していました。そして、ありがたいことにこの病院には「大会議室」という名前の大きな会議室に、舞台があるのです。実は、マッチングの試験の会場が「大会議室」で、時間配分の厳しい試験中に、「ここの舞台でミュージカルやりたいなぁ」と思いながら解いていたことを思い出します。


私は、就職した時から方々に、「ミュージカルに出たい!」と公言していました。研修医オリエンテーションの間にある同期が「Kちゃん、ミュージカルに出るの?僕も出てみたいんだけど、募集がかかったら教えて」と話しかけてくれました。ミュージカルは毎年3月に公演があります。患者さんが観て疲れないように、約1時間のオリジナルミュージカルで、テーマソングは手話を交えて歌います。秋頃から募集が始まります。私はオリエンテーションの時に誘ってと言われていたので、「時が経って心が変わっているかもしれないなぁ」と半信半疑で同期に声をかけてみました。すると、「ありがとう、参加する!」と喜んで参加してくれたので、正直びっくりしました。参加表明をすると、本番までの土日に練習をします。土日は、朝早めに回診し、カルテを書き終えてから練習に参加していました。この団体のミュージカルに初参加の場合は、まずは小さな役をもらって、舞台に慣れていきます。高校時代はずっと男役だったので、ほぼ初めて普通の女性の役をもらいました。普段女性なのに、なかなか普通の女性の役は難しく、苦手だと感じたのを覚えています。初舞台の翌年からは院内のミュージカルでもずっと男役だったので、この初舞台が最初で最後の女性の役でした。


本番前日、点滴中の患者さんも観にいらっしゃるので、点滴の速度を調整する機械必要な電源がすぐに使えるように、延長コードを準備したり、「大会議室」までの道のりを院内に掲示をしたりと、環境を整えます、本番当日は、公演中に体調が悪くなった患者さんに備えて看護師さんや研修医が応援にきてくれます。薬剤科の先生がたも受付で対応してくれたりと、病院の色々なスタッフに支えられ、初舞台は、無事に終わりました。終演後、出演者が出口で患者さんを見送ります。点滴を持って車椅子に乗って観に来てくれた方、手術を控えた方、入院中のお子さんとお母さん、病状が重く、観にくることができない患者さんのご家族の方が、口々に「楽しかった!ありがとう」と笑顔で伝えてくれて、私の方が励まされたことが強く印象に残っています。

先輩の卒業と引っ越し


1年目の初めてのミュージカルは3月のはじめの土・日曜日に無事終わり、同じ頃、たくさんお世話になって、助けてもらった2年目の先輩方がそれぞれの道に進んでいく、卒業の時が近づいていました。30名中、10名近くはそのまま病院に残り後期研修医となったのですが、20名の先生方とはなかなか会えなくなります。とっても寂しいのですが、先輩方がいなくなる3月の最終週から、新1年目の当直が始まるゴールデンウィーク明けまでは、私たちの学年だけで毎日当直を回さなくてはなりません。救命救急を回る研修医は、救命救急センターの当直があるため、全部で25、26名中毎日4名ずつ当直です。それだけでなく、通常業務も研修医の数が半減し、忙しくなります。また、私たちの病院は研修医2年目が皆で住む家がありました。共同の大きな玄関で靴を脱いで、そこからはマンションのように各自の部屋があり、小さいながらキッチンもついています。二年目の先輩方が退去した後部屋を譲り受け、引っ越しをします。クリーニングは入らないので、この忙しい時期に、自分たちで掃除も行います。

後輩ができる


あっという間に1年が経ち、先輩も卒業され、ついに後輩を迎えます。私たちが先輩から教わったように、後輩に色々なことを教えていきます。1年前一緒にオリエンテーションを受けた同期がとても頼もしく成長していて、感激します。教えるということがとても勉強になり、「教えるって大変!」と思いながら、どんどん成長していく後輩をみて少し焦ったりもしました。私たちの病院は、同期同士もそうですが、1年目と2年目がとても仲が良く、よく垣根を越えて飲みに行ったりしました。1年目の終わりから、当直は救急外来の当直が始まります。それまでは病棟当直で、大変ながらも点滴に慣れてきた後は、比較的自分のペースで当直することができていたのですが、救急外来の当直は、次から次へと直接外来にくる患者さん、救急車でくる患者さんを診なければなりません。待合室がごった返していると、どんどん余裕がなくなってきます。その日は、朝から仕事をして、そのまま夕方から当直に入り、翌日は通常通り勤務でした。(今は、当直明けは休みを設けたりしているようです。)救急外来を受診する患者さんは、軽症の方から重症の方まで様々で、患者さんが「重症」などの看板をぶら下げてくることはないため、気をつけなければならない状態で入院が必要なのか、処方をして自宅で様子を診てもらって良いのか、という判断がとても重要になります。自分だけの判断ではなく、私たちの上に内科当直の先生がいるので、報告をして判断が妥当かどうかのチェックを受けます。私は初期研修医を卒業してもこの病院に残ったので、計4年間この当直をしたのですが、以前のブログにも書いたように、毎回当直に入る時は「今晩も、患者さんも自分も無事に朝を迎えられますように」と願いながら、緊張していました。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。次回は、「研修医二年目の生活から研修医卒業」について書いていきたいと思います。ぜひご覧ください。よろしくお願いいたします。


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ABOUT ME
Dr.K
都内在住の30代女性。 内科医として、西洋医学・東洋医学を学び、現在都内で勤務医をしています。 自身が幼少期から気管支喘息、アレルギー体質であり、また大学時代の左前十字靭帯断裂後手術を受け、そして現在、変形性股関節症と向き合っています。 このブログでは、私自身が抱える健康問題に関して、西洋医学・東洋医学・代替療法・民間療法・スピリチュアル的なアプローチなど、興味が湧き、自分で納得したものを取り入れ、その結果をシェアしていきたいと思います。ゆくゆくはHolistic(ホリスティック)医学(=人間をまるごと全体的にみる医学)を提供できる医師を目指しています。