医学・健康について思うこと Vol.9(外来診療を行う時のコンディション)
今回のブログはこれまでの「医学・健康について思うこと Vol.1~8」の続きになります。
「医学・健康について思うこと」シリーズはこちら
腎臓内科時代
腎臓内科時代は、週1〜2回当直を行い、それ以外の日もオンコールで夜中も呼ばれる生活を送っていました。
日曜日も午前中は病棟を回診してカルテを書いていたので、夏休み7日間、年末年始2日間のお休み以外は1日フリーになるお休みはなく働いていました。
若かったこともあると思いますが、そんな中でもしっかり飲みに行っていました。
睡眠不足でお酒も飲んで、疲れているのに疲れに気づかないで過ごしていました。
そんな生活だったのですが、緊張感があったのか、不思議と風邪をひいたりすることなく、皆勤賞で働いていました。
当然、仕事とプライベートの境界があまりなく、仕事に臨むコンディションなんて改めて考えたこともありませんでした。
今の生活
今は、当直はやっていません。
週に4日漢方の外来、週に1日在宅診療、週に1日医局での仕事をやっています。
週6勤務です。
漢方は、体質を把握しながら、症状が出た原因として、生活習慣やストレスなど「外からの影響」を捉える必要があります。
必要があると書いたのは、それがわからないと、候補にあげた漢方薬を絞り込んで処方するまでに至るのが難しいからです。
そういう捉え方をするようになってから、自然と自分の体にも目を向けるようになりました。
すると、思っていたよりも自分の体は強くないのだということに気がつきました。
(漢方では体の強い、弱いを実証、虚証と表現します。(病気の勢いを実・虚で表すこともあります。))
自分自身が思っていたよりも自分は虚証でした。
いつの間にか冷え性になっていたことにも全く気がついていませんでした。
これまでいかに体に無理をさせていたかがわかりました。
そして思っていたよりも、体はサインを出してくれていたことに気がついたのです。
忙しさと、不摂生をしているときは、自分の体に目を向けてあげることができないため、びっくりするほど症状を感じにくく、鈍感になっています。
自分の体に目を向ける前の私は、まるで体は自分の所有物であるかのように自分にとって都合の良いように使っていて、体側の主張は聞き入れないといった感じです。
もっと、自分の「魂」が乗っている「乗り物」のような体を、きちんと洗車してあげたり、メンテナンスしてあげたりした方が良いと感じました。
今と昔の外来のコンディションの違い
腎臓内科の頃は、正直毎日が良いコンティションだったとは言えないと思います。
丸1日寝ていないまま、翌日外来をしたりもよくありました。
当時は、腎臓内科の外来もコミュニケーションを大切にしようと心がけて診ていたつもりでしたが、今から思うと、患者さん1人1人の生活習慣や体質を捉えるということは重視しておらず、いかに透析導入となるのを遅らせるか、腎臓の働きが弱くなったことで悪くなった採血上の数値を、いかに薬を使って「管理」するのかといった管理面にフォーカスしていたように思います。
数値の管理をする外来はある程度システマチックに行うことができたので、医師のコンディションがあまり反映されにくいような印象があります。
つまり、疲れていても、注意力がしっかりしていれば、ある程度変わらず、仕事ができていたように思います。
(作業効率などはかなり違うと思いますが。)
一方、今の漢方の外来は面白いことに、私自身のコンディションが診察にとても反映されます。
それこそ、自分自身が健康で、精神的にも肉体的にもスッキリしていないと、きちんと診療ができません。
漢方の外来を始めてから、特に自分の体調管理に気をつけるようになりました。
それはなぜかというと、漢方の外来が、数字などの指標があって「管理」する外来ではなく、「症状」に対してのアプローチになるからです。
西洋薬の「痛み止め」と「頭痛」を例にあげて考えてみます。
「頭痛」であれば、肩こりが原因でも、片頭痛が原因でも、天候が原因であっても、西洋薬の「痛み止め」は原因によらずに同じ薬を処方したりします。
(それぞれの原因に対して薬が変わることもあります。)
しかし、漢方では「頭痛」というキーワードだけでは、かなりの選択肢があり、絞り込むことができません。
つまり、「頭痛」という症状に対して、漢方薬を使うわけではなく、頭痛の原因となりそうな背景を患者さんから聞いて、その原因に対してアプローチする漢方薬を選ばなければなりません。
「症状」を詳しく聞くことになるので、患者さんも症状を細かく説明することになりますし、症状に困っている期間が長い方などは、切実な症状をドラマティックに語ってくださることもあり、良くも悪くも患者さんから受ける気といいますか、影響も大きいです。
自分が元気でないと、受け止めきれません。
さらに、保険診療だと、30分に4-5名を診察しなければならず、時間との戦いにもなります。
話を聞いて、腹診(漢方診療に特有のお腹を診る診察方法です。)、血圧測定、舌診、脈診をして処方に至るまで5-6分で終わらせるのはなかなか大変です。
1人の患者さんにあまりの時間を割いてしまうと、以後の患者さんも待ち時間が多くなるだけでなく、私自身も時間に追われ余裕がなくなってしまうことがあります。
以前の私は、
「できるだけ多くの話を聞いて、少しでも楽になってもらえたら」
「辛い症状は1つでも取ってあげたい」
「この症状を取ってあげられる薬を選ばなければ」
と、少し気合が入りすぎていました。
今の私は、まだ上に書いたような気持ちは残ってはいますが、どちらかというと
「症状は、ある程度自分自身で向き合っていく必要がある」
「向き合うヒントを一緒に考える」
「あくまでも、患者さんが自分で自分を治すことにフォーカスする」
「薬を処方するというよりは、薬の使い方を伝える」
「何が何でも薬が必要というわけではない」
「そして最後に、これらのこと以上のことはできない」
と、患者さんの力を信じながら、ヒントを伝えることを意識して外来をやっています。
「時間をかけて丁寧に」が大切だと思ってきましたが、(今でもできたらそうしたいと思っていますが)
「保険診療」の中で行う以上、「時間をかけられない」中で自分にできる範囲内のことだけしかできないと思うようになりました。
治療者が「治してあげたい」と力が入っていると、一見すると「熱い思い・情熱」で患者さんが良くなりそうなものですが、(私自身の経験で、完全に個人的な意見なのですが)残念なことにこの「熱い思い」は以外と空回りすることが多いように思います。
それよりもある程度客観的に、「この患者さんは自分で治していく、少し手伝いができれば」と思っていると、意外と患者さんから「薬が効きました」と言われる頻度が上がったように感じます。
患者さんとの「距離感」で悩んだのも、漢方外来を始めてからです。
そして、外来中に色々と考える必要があるので、自分の体が精神的にも肉体的にも「重い」状態だと、なかなか上手く回らないと感じるようになり、おのずと、まずは自分の体調を整えることを意識するようになりました。
どうしても、これまでの体育会系で教育されてきた身としては、「職場の飲み会に行かない」などがずっとできなかったのですが、今は新型コロナウイルス感染拡大防止のために、飲み会も全て中止となり、お酒を飲むこともほとんどなくなり、体調を整えやすくなりました。
今後は、「体育会系」気質で無理をせずに、自分の体調優先で飲み会参加を決めるということも目指していけたらと思います。
(宣言が必要なくらい、勇気が要り、これまで苦手としてきたことです。少し、スッキリ生きていきたいので、ここで宣言します!!)
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
私が日常の外来を行う上でのコンディションについて感じていることを書いてみました。
外来だけではなく、職場の中でも同僚との距離感などで悩んでいらっしゃる方もいると思います。
距離感、バランスってなかなか難しいです。
少し気を許せば、相手はさらにパワーアップしてしまうし、シャットダウンするわけにもいかないし、その良い塩梅を見つけるために、まだまだ私も模索中です。
また、新たに気づいたことがあれば、ご報告していけたらと思います。
なにはともあれ、自分の体は自分しか守ってあげられないので、大切にしてあげたいですし、それぞれが自分の体を大切にしてあげられるようになると、必ず他人も大切にしてあげられるようになると思います。
本来は体だけでなく、精神・魂もですが、体はわかりやすいのに意外と目を向けてあげられない、キツイ時ほど耐え忍んで症状を表に出さなかったりする頑張り屋さんなので、これを読んでいただいた方は是非、体に「いつもありがとう」と言いながら目を向けてあげて欲しいなぁと思いました。
次回も是非ご覧ください。よろしくお願いします。
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