Dr.Kのあゆみ

Dr.Kのあゆみ Vol.15(後期研修医1年目)

Dr.Kのあゆみ Vol.15(後期研修医1年目)

今回のブログはこれまでの「Dr.KのあゆみVol.1~14」の続きになります。
「Dr.Kのあゆみ」シリーズVol.1はこちら
「Dr.KのあゆみVol.14」はこちら

腎臓内科医を決めた時のアドバイス

前回のブログでは、私とスピリチュアルの出会いを書きました。私はこれまで母の親友のMちゃんからスピリチュアルカウンセラーさんとヒーラーさんとを1人ずつ紹介してもらったのですが、1人目のスピリチュアルカウンセラー(Iさんと書きます)の方との出会いは、2009年7月でした。Mちゃんから、すごい方がいるので、ぜひ行ってみてと教えてもらって、早速予約をしました。この頃の私はまだ、「スピリチュアル」に対しては、今の捉え方はしておらず、見えない世界が見える方が、見えてくる過去や未来のことから自分に必要なアドバイスをしてくれる予言的なものと捉えていました。「自分の本質に一致する」ためなどとは理解していなかったように思います。Iさんからは、周りの人の評価や反応を気にして行動するのではなく、自分自身が興味があることに対して道を選ぶように、と言われました。その後、数ヶ月ごとにIさんのところへ行きました。そして、カウンセリングの中で、私の守護をしてくれている見えない存在についてや、過去生の話も出てきたのでした。最初に聞いた時は、「へぇ、そんな方達が周りに。ありがたや。」くらいな感じで、意外と「見えない世界」に対しても、抵抗なくすんなりと受け入れている自分がいました。

Iさんからは、難しく考えずにもっとシンプルに、自分自身の選択において、厳しさではなく、楽しさで選ぶようにしなさいと言われました。ずっと中学・大学と比較的上下関係の厳しい運動部で育ってきたのもあり、なぜだか「若いうちの苦労は買ってでもしなさい」のような価値観が知らないうちに植え込まれていたのもありそうです。今でも油断すると昭和の親父みたいな自分が顔を出したりします。

前々回のブログにも書きましたが、初期研修医時代にIさんに、将来の診療科を相談しました。呼吸器科と腎臓内科で迷っていましたが、Iさんには細かいことは説明せず、この2科で迷っていることだけを伝えました。すると「どちらも人間関係は良いんだけど、呼吸器科に行ったら仕事が忙しくて潰されちゃうよ」と言われました。思い当たるところがありすぎて、これは避けた方が良いかなぁと感じ、自分でも納得して腎臓内科を選びました。

こうしてIさんのカウンセリングを振り返ってみると、2009年7月からなので、11年間にわたり、少しずつ私がスピリチュアルに生きることができるよう、土地をならし、種を植えてくれていたことに気づきます。10年以上経ってようやく芽が少しずつ成長していき、自分なりの「スピリチュアル」の解釈をもつようになりました。なかなか時間がかかりました。

腎臓内科での研修1年目


腎臓内科の上司はとても面倒見の良い、誰に対しても分け隔てなく接してくれる素敵な先生でした。卒業して10年近く経っている今でも、気にかけてもらっていてありがたいです。そんな上司の下で、のびのびと腎臓内科の研修生活が始まりました。ちなみに、同じ病院なので、研修医2年目に住んでいた寮から、同じ敷地内にある後期研修医用の寮に引っ越しました。通勤時間は5分以内で、自分の部屋から白衣のまま通っていました。腎臓内科のシステムは入院患者さんを後期研修医が人数で割り、受け持ち、そのさらに指導医が主治医としている仕組みで、それ以外に月曜日から土曜日までの透析、それぞれ外来や他科の先生からの診療依頼などの対応がありました。後期研修医は、初期研修医と異なり、緊急で呼び出された時などの残業代が出ます。通常の残業では残業代はつかなかったのですが、幸か不幸か緊急の呼び出しは結構多かったので、初期研修医の時よりは倍くらいのお給料をいただくようになりました。


初期研修医時代からとても仲が良かった友達と一緒に腎臓内科に入りました。研修生活が始まって、数ヶ月したところで、同期が妊娠したことがわかりました。とても嬉しいニュースでした。この同期とは、今でも良く会う大切な友達なのですが、これから書くのは、当時の自分の中では比較的辛かった時のお話しです。

上司は、妊娠がわかった同期をとても気遣っていました。同期は土日がお休みで、平日は9時から17時まで、夜間の呼び出しや当直はなしということになり、平日の夜間と土日は、私が同期の患者さんを担当しました。そして、院内の当直とは別に、他の病院から応援要請をされた当直は同期と私とで割り振る予定でしたが、全て私が行くことになりました。土日はいつもの2倍の患者さんを回診し、2倍のカルテを書きました。研修医時代からの友達でなければ、できなかったかもしれません。一方は大切にお休みを保証されていて、私は土日も休みがありませんでした。心に余裕がある時は、大丈夫なのですが、当直が続いて、緊急でも呼ばれてと忙しい時には、心に余裕がなくなり、「なぜ、私ばかりが働くことになるのだろう」とか、「どうして誰も休んでいいよと声をかけてくれないのだろう」などと良く思っていました。自分でSOSを出すことはせずに、気づいてくれないことばかりに目を向けていたように思います。
そんな同期が今度は産休、育休に入りました。彼女はとても優秀で、仕事が早く、尊敬できる同期で、産休・育休に入って平日の日中いなくなってしまってから、普段すごくたくさんの仕事をやってもらっていたことに気がつきました。そして、自分の忙しさと休みがないあまり、彼女がやってくれていた仕事にはあまり目を向けられていなかったんだなぁと、ありがたかったなぁと思ったのです。そして無事に産んで早く帰ってきてほしいなぁと思いました。
無事に元気な男の子を出産して、育休を終え、戻ってきてくれました。また、一緒に働くことができて、とても嬉しく思いました。存在がありがたく感じつつも、やはり彼女は土日がお休みで、平日は9時から17時まで、夜間の呼び出しや当直はないので、その間は私が代わりに受け持つことになりました。平日の日中に一人増えるありがたみがわかっていても、どうしてもまた自分には休みがないという状況が、大変な時は辛く、でもやはり自分からSOSを出すことはできず、相変わらず気づいてくれないことにばかり目を向けていました。

それぞれの立場からみると、誰が悪いなどでは全くないと思っています。そして、こういうシチュエーションの時に、どういう行動に出るのが良いのか、私は未だに解決できていません。実は、私はこのような状況によく遭遇します。適切な言葉かどうかわかりませんが、「犠牲」になるような状況になることが多いのです。そのため、つい他の人が「犠牲」になっている状況にとても敏感になってしまいます。

自分が「犠牲」になっている時の打開策はわかっていませんが、ただ、自分が「犠牲」になっているような時は、体が蕁麻疹などのサインを必ず出しています。そして、そういう時はIさんから必ず、自分を追い込む道ではなくて、楽しめるかを基準にした「道」を選びなさいと教えてもらうのですが、なかなか現実で実行できないのでした。「スピリチュアル」な自分自身の選択を、現実でうまく折り合いをつけて反映させることができないことを沢山経験します。どうやったら、現実のさまざまな関係性の中で、自分が「スピリチュアル」本来の自分で生きられるか、それから「自分に優しく生きる」ことができるかというのは今後も私のテーマのように思います。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。これからの時代、女性に沢山の活躍の場が増えると思います。そして、「自分に優しく」もこれからの皆に共通するテーマの一つになると思っています。働く女性が、お互いを支え合い、互いに「自分に優しい」状況になるような職場環境作りはとても大切だと思っています。「Dr.Kのあゆみ」シリーズはまだまだ腎臓内科後期研修医時代のお話しが続きます。次回もぜひご覧ください。よろしくお願いいたします。


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ABOUT ME
Dr.K
都内在住の30代女性。 内科医として、西洋医学・東洋医学を学び、現在都内で勤務医をしています。 自身が幼少期から気管支喘息、アレルギー体質であり、また大学時代の左前十字靭帯断裂後手術を受け、そして現在、変形性股関節症と向き合っています。 このブログでは、私自身が抱える健康問題に関して、西洋医学・東洋医学・代替療法・民間療法・スピリチュアル的なアプローチなど、興味が湧き、自分で納得したものを取り入れ、その結果をシェアしていきたいと思います。ゆくゆくはHolistic(ホリスティック)医学(=人間をまるごと全体的にみる医学)を提供できる医師を目指しています。