Dr.Kのあゆみ Vol.20(いざニューヨークへ)
今回のブログはこれまでの「Dr.Kのあゆみ Vol.1~19」の続きになります。
「Dr.Kのあゆみ」シリーズVol.1はこちら
「Dr.Kのあゆみ Vol.19」はこちら
ニューヨークへ
ニューヨークまでの準備ですが、日常業務に追われて、自分自身で手続きすることが難しいと判断し、後期研修医3年目の11月頃から留学準備代行の業者にお願いしました。ミーハーな私はニューヨーク大学付属語学学校へ入学することを決めました。実はコロンビア大学の語学学校も考えたのですが、予算的に難しく、ニューヨーク大学一択となりました。
一つだけ、準備の中で残念だと思うことがあります。準備している当時、民主党政権で1ドル80円前後を行ったり来たりしていたのですが、途中で自民党政権に変わり、いきなり1ドル100円台になってしまい、私の留学費用が減る事になってしまいました。旅行の時くらいしか、為替をあまり意識したことがなく、こんなに一気に変わると思っていなかったので、良い勉強になりました。
後期研修医3年目が終わり、翌日の4月1日に病院を離れ、旅をしながら、実家まで戻ってきました。学生ビザを取りに行くのに、期限がギリギリで、大阪にあるアメリカ大使館が最も早く予約が取れるとのことで、大阪に行ったりと、少しバタバタし、約1ヶ月弱の準備期間はまたたく間にすぎました。
そして5月3日、いよいよ旅立ちの時が来ました。ニューヨークでの生活の立ち上げに、母が一緒についてきてくれました。
ニューヨークでの家探し
ニューヨークについてから、まずは、短期間滞在のアパートを予約して、現地で家探しをする予定にしました。残念ながら英語が話せなかったため、日本人が経営している不動産で家探しをすることにしました。3ヶ所内見しました。2ヶ所目に行ったところが、とても可愛く、色もおしゃれな素敵なお家だったので、そこに決めようかと思いました。広い中庭があり、その中庭を抜けたところにコインランドリーがありました。自分の性格上、夜にその中庭を越えてコインランドリーに行くのが怖くて、なかなか洗濯をしなくなるのではないかと思ったのと、可愛くて外国っぽいお部屋で魅力的だったのですが、直感的に自分が住むイメージが湧かなかったので、悩みました。もう一名内見に来ていたようで、今すぐに返事をすれば、あなたにこの部屋を貸してあげると言われたのですが、どうしても最後の1部屋を見たくなり、そこでは返事をしませんでした。
最後に見に行ったお部屋は、とても立地もよく、部屋に入った瞬間にパァーッと明るい印象を受け、一目で気に入りました。3軒目のアパートで即決しました。
アパートが決まったので、いよいよ契約なのですが、日本のように銀行口座引き落としのような便利なシステムがなく、銀行口座を作り、小切手帳を発行してもらい、毎月小切手を郵送する仕組みでした。まずは、銀行に行って口座を新設します。こういう最初のセットアップの時に一番英語が必要で、かなり困りました。ギリギリのコミュニケーションでなんとか乗り切りました。
新居は、アメリカで一般的なのかどうかわかりませんが、日本のようにクリーニングに入ることはなく、壁の白塗りのペンキだけ新しく塗り替えてくれ、床やキッチン、洗面所、バスなどは、前の住人のまま引き渡しでした。最初は驚きましたが、壁の白塗りがやけに綺麗で、明るい印象になり、あまり日本では経験しなかったので、良いなぁと思いました。
新居で暮らせるようになるまで
新居の引き渡し時、壁のペンキ塗り替えのみの状態だったので、私と母は部屋の清掃から始めました。靴を脱いで暮らそうと思っていたので、まずは床を丁寧に拭きあげました。ベッドは考えた結果、退去時の撤去が大変なのと1年間だとレンタルの方がお得だったので、レンタルにしました。アメリカっぽいキングサイズんベッドがやってきました。家具は必要最低限のものをIKEAに買いに行きました。本棚とテーブル、引き出し、ラグ、ランプを購入し、大きいものは自宅へ配送してもらいました。配送当日、電話がかかってきて、とても早い英語で何か言われました。聞き返しましたが、何を言っているか全くわからず、Yesとだけ答えて、IKEAの配送が来るまでは家から一歩も出ないようにしました。幸い、予定していた時間に来たので、ホッとしました。私がIKEAの家具を組み立てている間に、母が洗面所やキッチンの掃除をしてくれて、本当に助かりました。母に手伝ってもらったおかげで、あっという間に住む環境が整いました。
G出現!!
ニューヨークではG(私はゴキブリをこう呼んでます)、ネズミはよく見かけるのですが、母が滞在中、1回Gが玄関から入ってきました。私はGが怖いので、母が「今、私が撃退しなければ!せっかくの新生活、怖い思いをしてほしくない」と責任感が発動し、比較的足が長くて大きめのGでしたが、母が格闘して退治してくれました。それから、インターネットでG対策を調べ、Gが苦手な香りのする香辛料をぶら下げておくと良いというのを採用してみました。私が住んでいたのはインド人街のすぐ近くで、カレー屋さん、スパイス屋さんが軒を連ねていたので、早速スパイス屋さんでキャラウェイシードを大量に購入し、排水口ネットに少しずつ分けて入れ、随所に置きました。これが効を奏したのか、1年間住んでいてGが来たのは1回のみでした。
母帰国
家をセットアップしながら、合間にミュージカルを見に行ったりと母とニューヨーク旅行気分も楽しみました。毎日とても楽しかったのですが、12日間の滞在で、母の帰国日が近づいてきました。5年間働いて、久しぶりに無職になった私は、病院時代に貯めたお金でニューヨークに来ましたが、ニューヨークは家賃も物価も学費もとても高く、貯めたお金が減っていくスピードが早く、収入も全くないので、とても不安になりました。母が帰国する前夜、寂しさと不安もあり、色々と話をしているうちに涙が出てきました。それまでは、楽しみ、期待感しかありませんでしたが、現実が押し寄せてきた感じがしました。まだ全く知り合いもいないニューヨークで新しい生活が始まります。母の帰国日には、一緒に空港まで行き、母の姿が見えなくなるまで見送って、寂しくなって泣きながら家に帰りました。
一人での新しい生活は、少し味気ない感じがしましたが、せっかくの憧れてきたニューヨーク生活なので、楽しまない手はありません。気を取り直して、ミュージカルを観に行ったり、ニューヨーカーの暮らしを感じに街を散歩したりしているうちに、いつの間にかニューヨークからエネルギーをもらっていました。旅行では華やかな面しか見えていませんでしたが、一方では住んでいる人がきちんと地に足をつけているような落ち着いた面も多く、また住んでいる人によって街の雰囲気ががらりと違って、色々な顔がありました。
そして、なんだかニューヨークから少し厳しくも温かく「いらっしゃい、みんな頑張って生活しているから、君も頑張りな」と言われている感じがしました。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。ニューヨークでの色々な出来事は、また「Dr.Kのあゆみ」とは別でブログを書こうかなぁと思っています。自分の中では、移り住んでセットアップするまではとても思い出深かったので、「Dr.Kのあゆみ」の中で書いてみました。次回は、ニューヨークに住んでみての感想から、帰国後の話を書いていこうと思います。次回も是非ご覧ください。よろしくお願いします。
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