Dr.Kのあゆみ

Dr.Kのあゆみ Vol.21(ニューヨーク、そして帰国)

ニューヨーク、そして帰宅

Dr.Kのあゆみ Vol.21(ニューヨーク、そして帰国)

今回のブログはこれまでの「Dr.Kのあゆみ Vol.1~20」の続きになります。
「Dr.Kのあゆみ」シリーズVol.1はこちら
「Dr.Kのあゆみ Vol.20」はこちら


前回のブログの最後にも書いたように、ニューヨークではとても多くの出来事があり、細かいことはいつか改めてブログに書きたいと思っています。今回は、ニューヨークに来るきっかけとなった「オペラ座の怪人」のクリスティーヌ役Jennifer Hope Willsさんとの再開、そしてニューヨークでの1年を終えて感じたことを思い出して書いてみようと思います。

Jennifer Hope Willsさんに会いに行く


ニューヨークに住んでから1年間で120本以上のミュージカルを観たのですが、「オペラ座の怪人」は10回以上観ました。「オペラ座の怪人」を観たい理由は、キャストによって世界観や感じることがずいぶんと違うのと、最初に観た「オペラ座の怪人」の感動が忘れられず、どこかでその感動と再開したかったのかもしれません。Jennifer Hope Willsさんのクリスティーヌがもう一度観たいなぁと思っていました。
(※初めてのニューヨークで感動した「オペラ座の怪人」ついては「Dr.KのあゆみVol.16(後期研修医1年目②〜NY〜)」をご覧ください。)


当時はTwitterやFacebookでミュージカル関連の情報を色々集めていました。ブロードウェイの舞台だけでなく、54 belowというミュージカルスターがLIVEをする素敵なライブハウスや他のライブハウスで好きな俳優さんが歌う時には予約をして聴きに行きました。


ある日、FacebookでJennifer Hope Willsさんが「久しぶりに舞台で歌います。ミュージカルの曲も歌います。」と告知しているのを見つけました。私はとても興奮して、すぐに予約しようと思ったのですが、マンハッタンから特急電車に乗って1時間ほど、比較的遠い田舎の劇場であるということで、1人で行くのは危険だと思い一度断念しました。日に日に、どうしても聴きに行きたい気持ちが強くなり、語学学校の先生に行き方を細かく相談して、行くことにしました。夜公演なので帰りは終電を逃すわけにはいきません。自分でも少し危険かなぁと思っていたので、日本にいる母に連絡して、その日の予定を伝え、ある時間になっても連絡がなかったら、助けてほしいと、行き先を伝えておきました。そして、仮に宿泊することがあっても大丈夫なように、食べ物と、冬だったので防寒着などを入れた少し多めの荷物で向かいました。


当日、特急列車に乗り、降りた駅は想像以上に田舎でした。恐らく車社会なのでしょう。降りた駅にはタクシーもなく、遠くに無人のタクシーが止まっており、その車体にタクシー会社の電話番号と思われる番号が書かれていましたので、電話してみました。電話して、駅までタクシーを呼び、目的の劇場に到着しました。劇場からの帰りもお願いできるか確認したところ、終演後電話をすれば大丈夫と言われました。
到着した劇場は、昔ながらのアットホームな地元の住人にとても愛されていると感じる劇場で、家族みんなで劇場に足を運び、開演前にはお酒を飲んだり、食事をしていました。私は、直前に予約をしたので良い席ではないだろうなぁと思っていたら、なんと最前列のセンターに一人だけ座るという展開になりました。
久しぶりのJennifer Hope Willsさんの歌声で、「オペラ座の怪人」の「Think of me」というクリスティーヌが最初に歌う曲を歌った時には、初めてニューヨークで観た「オペラ座の怪人」の記憶が蘇り、久しぶりにとても感動しました。


終演後、ロビーでキャストを出待ちできると聞いたので、Jennifer Hope Willsさんが出て来るのを待っていました。他のキャストは早々と出てきたのですが、Jennifer Hope Willsさんはなかなか出てきません。終電の時間もあったので、いつまで待つか悩みました。そして、他の観客もほぼ全員帰路につき、私がぽつんとロビーに残った頃、ついにJennifer Hope Willsさんが出てきました。私は、「あなたのクリスティーヌにとっても感動したこと、その時の「オペラ座の怪人」がきっかけで、ニューヨークが好きになり、住みたいと思うようになったこと。今回、Facebookで歌うと知って、遠かったけど、どうしても聴きに来たかったこと」を伝えました。すると、Jennifer Hope Willsさんはとても感動してくれて「あなた、最前列で観ててくれたでしょ?当時「オペラ座の怪人」でクリスティーヌ役をやって、あの年を最後に結婚して子供を産んで、しばらく舞台から離れていて、今日久しぶりに歌ったのよ。探して、わざわざ聴きに来てくれて嬉しい。」と言ってくれました。一緒に写真も撮ってくれました。「帰りはどうするのか?この辺りに泊まるのか?」と聞かれ、私は「マンハッタンの自分の家に帰る」と答えると、遠いのでとっても驚かれました。もう一度、お礼を言ってくれ、別れました。


かなり嬉しくて大興奮でしたが、すぐに現実に帰り、これからマンハッタンまで帰らなければならないことを思い出しました。急いで日中使ったタクシー会社に電話して、劇場まで来てもらうようお願いし、外で待ちました。ところが、タクシーがなかなか来ません。寒い外でじっと待っていると、自分の車を運転して帰路についたJennifer Hope Willsさんが、私がいるのを見つけて、引き返してくれて、「大丈夫?どうやって帰るの?私もこの辺詳しくなくてナビもないから、もし道がわかるのであれば、最寄駅まで乗せて行くよ。」と言ってくれました。大スターがせっかく誘ってくれたのに、道が全くわからないのと、タクシーを呼んでしまっていたこともあり、丁重に断りました。すると、「1人だと心配。あなた私のFacebookを見て来てくれたのよね?だったら、マンハッタンに無事に着いたらFacebookからメッセージを必ず送ってね。」とスターからメッセージを送るように言われました。


タクシーが来た頃には、最寄駅からの最終電車に間に合うかどうか怪しかったので、調べ直して他のもう少し大きな駅まで向かいました。実際には30分間くらいだったと思いますが、電車が来るまでかなり長い時間待っているように感じました。時刻通りに来るかわからない中、電車が視界に入ってきた時は本当にホッとしました。途中途中で母には安否を知らせました。
こうして、私のJennifer Hope Willsさんに会いに行くという大冒険は無事に終わったのでした。迷いましたが、行ってよかったと思いました。

ニューヨークで感じたこと


ニューヨークでは、それまで日本で形成してきた自分の価値観だけで生きていく必要がないことを強く感じました。たまたま日本に生まれて日本の文化の中で、自分自身がこれまで置かれた環境や出会った人の中で形成してきた自分の価値観は、自分の考えのベースとなっていました。自分以外の人もそれぞれが形成してきた十人十色の価値観を持っていて、その価値観を尊重するというのは、理屈上ではわかっていたつもりでも、現実では意外と自分の価値観で相手へ期待したり、状況を予測しては、そのギャップで辛くなったりもしていました。外国で暮らし始めると、どちらかというとアメリカという国がもつ価値観と自分自身の価値観自体がズレていて、相手が「国」という大きな単位なので、どうしても相手がズレているというよりは自分自身の価値観が違うということを認識しました。それはとても良い体験で、理屈ではわかっていた受任と色の価値観論を、自ら大きく体感することになりました。


同じ国に留学したり、住んだとしても、その人が経験する出来事によってその国に対するイメージが変わると思います。また私は大きく困ったこともなく過ごせた1年で、1年間という短期間だからこそ、その国の本当の問題点は見えていないとは思います。そのため、一般化はできないと思うのですが、私自身が感じたニューヨークの人たちは、相手の価値観を積極的に受け入れようとも、否定しようともしない印象でした。ただ、「それぞれがそれぞれの価値観をもつ」という状態という感じで、外国人として暮らす私には、居心地が良いように感じました。過度にフレンドリーな訳ではないけれど、どこかで視界には入れてくれている感じで、困っていたら、スッと誰かが助けてくれるようなそういう面もありました。


ニューヨークにいる間に、腎臓内科の上司からの贈り物、ミュージカルの仲間からの贈り物、母からの贈り物と、日本からたくさんの応援の贈り物が届きました。その心遣いがとっても嬉しく、ワクワクしながら箱を開けました。上司は、美味しいものに加えて、日本ならではのグッズがたくさん入っていて、「ニューヨークで仲良くなった友達にあげてね」と書いてありました。一人で外国で過ごしていると、日本で家族以外に自分のことを思い出してくれる人がいるということはとてもありがたいと思いました。

帰国


当初、一年間を目処にニューヨークへ渡りました。1年が経つ頃、あと半年くらいはいたいなぁ、帰りたいなぁと思い始めました。私の購入した航空券は往路で使用した5月3日から1年間有効なチケットでした。そのチケットを無駄にして、もう少し残るか、そのチケットを利用して帰国するか迷っていました。しかし1年間の留学生活で私の貯金は尽きようとしていました。そして、そろそろ働きたくもなってきていました。
私は1年間有効な航空券が切れる最終日5月3日の日本行きの飛行機を予約しました。最後の一ヶ月は、これでもかというくらいミュージカルを観て、ブロードウェイダンスセンターでダンスを習いミュージカル三昧に過ごしました。そしてあっという間に帰国日となりました。


これまでの人生は、日本の中で、ある程度イメージ可能な範囲内で夢を描き、実現してきましたが、海を渡って、自分の知らない描けるイメージがまだまだたくさんあることを知りました。これからは、常識にとらわれず、自分の直感をきちんと信じながら、自分自身が納得して良いと思ったことを実践していき、どんどん新しいことに挑戦していこうと改めて誓い、ニューヨークをあとにしました。


今回もご覧いただき、ありがとうございました。私の中で、この1年間のニューヨーク生活は、人生の良いスパイスとなり、少し生きやすくなったような感じがしました。次回、帰国後の日本での新たな生活が始まります。是非読んでいただけたらと思います。よろしくお願いします。


にほんブログ村に登録しています。ランキング形式になっています。
多くの方に読んでいただけたら嬉しいので、
もしよければ、この下のバナーをクリックお願いします!
(クリックすると、にほんブログ村のサイトへアクセスします。)
にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

ABOUT ME
Dr.K
都内在住の30代女性。 内科医として、西洋医学・東洋医学を学び、現在都内で勤務医をしています。 自身が幼少期から気管支喘息、アレルギー体質であり、また大学時代の左前十字靭帯断裂後手術を受け、そして現在、変形性股関節症と向き合っています。 このブログでは、私自身が抱える健康問題に関して、西洋医学・東洋医学・代替療法・民間療法・スピリチュアル的なアプローチなど、興味が湧き、自分で納得したものを取り入れ、その結果をシェアしていきたいと思います。ゆくゆくはHolistic(ホリスティック)医学(=人間をまるごと全体的にみる医学)を提供できる医師を目指しています。