Dr.Kのあゆみ

Dr.Kのあゆみ Vol.7(医学部時代のあれこれ)

医学部時代のあれこれ1

Dr.Kのあゆみ Vol.7(医学部時代のあれこれ)

今回のブログはこれまでの「Dr.Kのあゆみ Vol.1~6」の続きになります。
「Dr.Kのあゆみ」シリーズVol.1はこちら
「Dr.Kのあゆみ Vol.6」はこちら


今回は、「医学部時代のあれこれ」というタイトルで、印象深かった医学部時代のエピソードを徒然なるまま書いてみようと思います。

部活漬けの毎日に戻る


無事に歩き方も思い出し、徐々に普通の生活を送ることができるようになりました。退院後は休まず部活に出て見学し、帰りは先輩が自宅まで車で送ってくれる毎日でした。毎月、整形外科の外来で術後の経過を診てもらい、そろそろ部活に復帰できそうという時期に、先生の勧めを受けて、自分の足にあったサポーターを作りました。大学2年生になる頃には、少しずつ部活に復帰し、久しぶりに「膝崩れ」する不安なく走ることができて、とても感動しました。できるだけ怪我の原因となったアタック練習への恐怖心を持たない方が良いと考え、ジャンプする高さを低めにして、早めに練習に参加し始めたのですが、意外にも「また怪我をするかもしれない・・・」というような恐怖心は湧きませんでした。怪我してから手術、復帰までの道のりが、自分の中ではそれほど辛い思い出ではなかったからかもしれません。
それから、6年生最後の大会まで部活を続けましたが、途中で怪我することなく無事に引退することができました。今振り返ると、最初は想定外でしたが、部活を通して沢山の素敵な先輩や後輩、同級生、親友にも恵まれ、体力がついただけではなく、人とのご縁という面でも入部して良かったと思っています。

医学部の運動部事情


ここで少し、医学部の運動部事情についてお話してみようと思います。私の大学を通してのお話なので、一般化できないかもしれませんが、Vol.4でも触れた通り、医学部に入学すると8割方の子が運動部に入部していました。どちらかというと、女子学生の中には大学で運動部デビューもする子が多かったくらいです。通常の大学の運動部からすると医学部の運動部のレベルは全体的に低く、同じ土俵で戦えないというところが理由かと思いますが、医学部だけの大会が毎年春と夏に2回ありました。そして、スポーツをしっかりやってきた子が入部すると、突如強豪チームになるのでした。まさに、私が1年生の時の6年生に一人バレーボールをずっとやってきた方がいて、その先輩がいる間はとっても強かったのですが、その先輩の卒業後、私たちの代にかけて徐々に弱体化してしまい、申し訳ない感じでした。
きっと、今の時代はもっと大学生活の選択肢が多いように感じるので、昔のように運動部に入る人はもっと少ないのではないかと推測します。

医学部の授業


医学部の授業について触れてみたいと思います。私の時代は、1年生で教養科目を学び、物理や生物などは実験・実習があり、特に生物では動物の解剖実習がありました。ミミズ、カエル、フナ、マウス、ニワトリを解剖して、臓器をきれいに摘出して、スケッチをし、ヒト以外の基本的な生物の解剖を学びます。

二年生に入ると、ようやく医学部らしい授業が始まり、医学の基礎を学んでいきます。基礎医学は、様々な科目があるのですが、特に印象的だったのは、前期に座学で解剖学を学び、後期では献体を解剖をしたことです。献体とは、生前に「自分が亡くなったあと、自分の遺体を医・歯学の発展に役立ててほしい」と献体登録を行い、亡くなられた後、故人の意思を尊重したご遺族によって、大学の解剖学教室などに提供されたご遺体のことです。このように、故人のありがたい思いを受けて、私たち医学を志す者は、人体の驚くほど緻密な臓器、組織を目の当たりにすることができるのです。毎日黙祷をし、テーマを決めて解剖していきます。1学年約100人で約5-6名ずつの班に分かれ、各班毎に2列に並んだ解剖台に分かれて実習をします。客観的に聞くと、とても恐ろしい光景のように思いますが、その当時は、私が担当させていただいた献体のお顔もお体もほぼ毎日見て、解剖させていただく中で、「とても通常では考えられないような勉強をする機会を与えてもらっている」という感覚が強く、恐ろしさなどは全くありませんでした。今でも、その方のお顔や耳の形や皮膚の感じなど鮮明に覚えていますが、怖い感じで蘇ってくることは全くありません。
通常、生身の人間は、こちらが足を持ち上げるとしても筋力で持ち上げやすいよう少し手伝ってくれますが、亡くなった後の方は、筋肉を使って手伝ってくれることはまずありません。解剖実習の途中で、足の解剖をしていた時のことです。足を持ち上げようとした時に、思ったよりも足が重く、ぎっくり腰になってしまい、数日間動けませんでした。
また、解剖実習が終わる前に、解剖学教室の先生方とクラス100名でお寺に行き、献体してくださった方に感謝の気持ちを込めて、慰霊祭がありました。2年生の解剖実習は特に印象に残っています。


3年生からはいよいよ臨床の勉強に入ります。病院に行くとよく目にする、消化器内科、呼吸器内科、血液内科、腎臓内科・・・といった内科系、消化器外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、産婦人科、泌尿器科、皮膚科・・・といった外科系、小児科・・など、比較的イメージが湧きやすい勉強が始まり、比較的楽しく勉強をすることができました。4年生になると、引き続き、臨床の授業が続き、さらに全国の医学部の共用試験に備えます。5年生は主に、病院実習で、4年生までに座学で学んできたことを、実際に病院で学んでいきます。6年生の前半まで実習が続き、6年生の後半は卒業試験、国家試験に向けて勉強します。

医学部の試験


医学部の試験は、約2週間の間、週に4-5日、1教科ないし2教科ずつ試験があります。1教科と言っても、その範囲は教科書1冊分のなかなかの分量がほぼ連日でやってきます。2週間の試験期間が終わったら、続けて2週間の再試期間があります。幸せなことに、学年で一定の数が必ず落第するわけではなく、全員水準以上の点数を取れると進級できるので、皆で協力して勉強していきます。(と言っても年に約10人ずつほど留年者がいました。)試験範囲が広いため、先輩から脈々と引き継がれている方法で、皆で試験対策をしていました。クラス100名全員が、それぞれの科目ごとに数名ずつ割り振られ、一人一人担当の範囲を決め、授業中先生が強調していたところをノートにまとめたり、先輩から教えてもらった過去の出題問題などをまとめます。それを皆でコピーして、教科書、自分のノートなどと合わせて、毎日の試験を乗り切ります。


真面目すぎて、最初から順番にやりたいタイプの人は、最後まで試験範囲を終えることができずに、意外と再試験となったりしていました。試験範囲が広ければ広いほど、木を一本一本数える勉強スタイルではなく、森を見て全体を把握し、そこから木々の集団を見ていき、キーとなる木を押さえる勉強をしていく必要がありました。


また、タイプによって分かれていたのが、①朝まで徹夜して勉強をして、試験を受けてから一度眠って、夜になってまた起きて次の試験まで勉強し、という「徹夜組」と、②夜はきちんと眠って、「日中勉強する組」とがいました。私は、大学1、2年生の間は、「徹夜組」だったのですが、3年生の時から試験前に一緒に勉強し始めた、薬剤師になってその後医学部に入学した友人の影響で、「日中勉強する組」に転向しました。日中勉強して、夜はきちんと寝て、少し早起きして勉強して、試験を受ける。試験が終わったらリフレッシュで1時間ほど寝て、また翌日の勉強を始めるというスタイルでした。そうすることで、日中勉強したことが、寝ている間に定着して、朝再度確認することで、さらに定着し、試験に臨めることに気がつきました。日中勉強したことが、夜にきちんと睡眠をとることにより、まるで知識を詰め込んだ棚が自動的に整理されているような感覚があり、徹夜時代に知識が整理されないまま試験に臨んでいたことを考えると、睡眠を挟むことのメリットを強く感じました。日中の勉強に切り替えてからは、大学での順位がぐんと伸びました。


今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。「医学部のあれこれ」は思った以上に長くなってしまったので、一度この辺で終わりにしたいと思います。次回は、医学部あれこれ2ということで、「4年生で受ける共用試験の準備」から書き始めたいと思います。次回もご覧いただけたら嬉しいです。ありがとうございます。


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ABOUT ME
Dr.K
都内在住の30代女性。 内科医として、西洋医学・東洋医学を学び、現在都内で勤務医をしています。 自身が幼少期から気管支喘息、アレルギー体質であり、また大学時代の左前十字靭帯断裂後手術を受け、そして現在、変形性股関節症と向き合っています。 このブログでは、私自身が抱える健康問題に関して、西洋医学・東洋医学・代替療法・民間療法・スピリチュアル的なアプローチなど、興味が湧き、自分で納得したものを取り入れ、その結果をシェアしていきたいと思います。ゆくゆくはHolistic(ホリスティック)医学(=人間をまるごと全体的にみる医学)を提供できる医師を目指しています。