Dr.Kのあゆみ Vol.8(医学部時代のあれこれ2)
今回のブログはこれまでの「Dr.Kのあゆみ Vol.1~7」の続きになります。
「Dr.Kのあゆみ」シリーズVol.1はこちら
「Dr.Kのあゆみ Vol.7」はこちら
4年生の共用試験
4年生になると、全国共通の試験があります。コンピューターで知識を問う試験(CBT: Computer Based testing)と実技試験(OSCE: Objective Structured Clinical Examination)の2つで構成されています。私たちの学年から本格運用になり、特に実技試験は、事前にしっかり練習をするのですが、その練習が少しユニークでした。簡単に言うと、「本格的なお医者さんごっご」でしょうか。針と糸で傷口を縫うことを縫合と言うのですが、縫合の練習をするには、お互いの皮膚を使うわけにはいきません。縫合の練習用に皮膚に似せて作られた模擬皮膚が販売されており、それを用いて練習をします。
また、よくテレビドラマの手術シーンで、手洗いをして、手術用の手袋を装着するところを見るかと思いますが、あの手袋の装着の仕方にはコツがあります。通常の何気なく装着する手袋とは違って、常に手は不潔なものとし、患者さんに触れる手袋の表面には、自分の手が全く触れることなく装着します。OSCEを控えた4年生の学生は、1人1つずつ、手術用の手袋を与えられ(SMLなどのサイズではなく、繊細に作業ができるように、もう少し細かく分かれたサイズがあります。)手袋を装着する練習を何度もやります。その他に、ある病気がテーマになり、模擬患者役の人が決まったシナリオ通りに症状を伝え、医師役の学生が問診をしていき、診察を行い、診断するという実技もあります。このように「本格的なお医者さんごっこ」を毎日練習し、試験に臨みます。
現在はどういう仕組みかはわかりませんが、私たちの時代は、試験当日、他機関から試験監督が一部屋に数名ずついらして、実技の試験がありました。問診、診察、診断の流れの実技は皆比較的うまくいったようでしたが、縫合の試験で色々なハプニングが起きたようでした。縫合は、模擬患者さんの腕に、模擬皮膚が装着されており、模擬患者さんとお話をしながら、手袋を装着して、消毒をして、麻酔をし、声かけをしながら(痛みがないか確認しながら)、縫合していきます。これが思いの外、細かく作業が分かれていて、複数名にじーっと見られながらだと意外と緊張するのです。中には、手袋を装着する途中に触れてはいけないところに触れてしまったり、手に汗をかきまくって、べとついて手袋が破れたりする人や、また、消毒や麻酔を忘れて、縫合の途中で「あっ」となったりする人などもいたようで、試験が終わった後には、色々なエピソードが飛び交っていました。ミュージカルのおかげで、私にとっては台本を覚えたり、本番の緊張感と似ていて、比較的受けやすい試験でした。
病院実習
無事に4年生の共用試験を終え、5年生になると白衣授与式を経て、いよいよ病院での実習が始まります。実際の医療現場に触れるほぼ始めての機会なので、とても緊張しました。1班約5名ずつに分かれて、各診療科を2週間ずつ順番に回っていきます。患者さんを担当させていただいて、毎日会いに行ってお話を聞き、診察させてもらい、レポートにまとめていきます。今思えば、学生1人につき、担当する患者さんが1-2人で、今では考えられないくらい1人の患者さんと向き合える時間をいただき、ありがたい時間だったなぁと思います。4年生まで机上で勉強してきた知識は、5年生の臨床の現場でよりイメージがついていきます。手術室や救命センターをはじめ、緊張感のある医療現場というものを肌で感じて、その責任の重さも体感します。また様々なキャラクターの女性医師が活躍していたのを側で見させてもらえたことも、良い経験になりました。病院実習時代は、1人1人の患者さんとの思い出や、ずっと1年間ずっと一緒にいた5人組、お世話になった先生方の思い出が多いです。色々な科を回りながら、私は、漠然と将来産婦人科医になりたいと思い始めました。
将来働く場所を決める
6年生の最初まで臨床の現場で実習がありましたが、6年生にはもう一つ大きなイベントがあります。今後の人生を変えうる、卒業後の勤務先を決定するマッチングというイベントです。就職活動のようなイメージです。
昔は、医学部卒業と同時に行きたい診療科の医局に入局して、働き始めるシステムだったのですが、私の数学年先輩の代から、この昔のシステムが終了しました。新しいシステムは、2年間は初期研修医として、自分の進路を決める前にある程度メジャーな診療科は経験しておくというもので、約2ヶ月ずつ、各診療科を回っていくシステムに変わりました。そして、研修先として、大学病院、大学病院以外の病院などから比較的自由に選択することができました。希望の病院に出願し、夏休み期間を利用して、病院ごとに独自に実施する試験を受けに行きます。試験は、筆記試験と面接を行う病院が多く、試験後は学生も受験した病院に行きたい順に順位をつけ、病院側も学生に成績などから順位をつけていきます。学生側の順位と病院側の順位がうまくマッチすると、研修先が決定します。私は自分の出身校でも良いなぁと考えていましたが、親戚に「近くに良い病院ない?」と尋ねると、「家の近くに大きな病院があるよ、行ってみる?」と、後日連れて行ってくれました。
ここで運命的な出会いが待っていたのです。
親戚に連れられて、病院の中へ入りました。すると、院内のお知らせ掲示板に、「ミュージカル公演のお知らせ 出演者:研修医◯◯、 看護師◯◯・・・」とミュージカル公演のポスターが貼られていたのです。私は、すぐさま「この病院に決めた!ここに来て、ミュージカルに出たい!」と心に決めました。それから、その病院について調べてみると、なんと、当時、東京都内で研修先として一番人気の病院で、全国から30名のみの募集というなかなか難しい条件でした。しかし、私は他の病院ではダメだったのです。「何としてもこの病院に行き、ミュージカルに出たい!」と強く願いつつも、自分にとってはあまりにも高い壁で、不安に思いながら試験に臨みました。筆記試験は、試験時間に対して、とにかく問題が多く、英語の問題や、小論文もあったのです。「これは、とても時間内に終わらない。もしかしたら作業能力なども問われているかもしれない。とにかく最後までたどり着くようにしよう」と作戦を決め、とにかく最後まで埋めることを目標にしました。なんとか終わりましたが、正直解き終わった後の自信はありませんでした。
気を取り直して、面接です。私はこの時、将来は「産婦人科」に進もうと思い、出願書にも、「産婦人科へ行きたい。それからミュージカルがしたいので、何としてもこの病院でないとダメだ」という熱い思いを書いていました。面接は1部屋に3名ずつ色々な診療科の医長の先生がいて、交互に学生に質問をするシステムでした。奇跡が起こり、私の面接の部屋には「産婦人科!」の先生、精神科の先生、総合内科の先生がいらっしゃいました。「君は将来何かに行きたいのですか?」と聞かれ、「産婦人科です」と答えると、産婦人科の医長の先生が、「私、産婦人科医ですが、産婦人科志望とは、嬉しいですね」と言ってくださいました。この時点で、「なんと!神様ぁ〜、ありがとうございます!」と思ったのですが、喜んでいるのもつかの間、精神科の先生とのやり取りに沈んでしまうことになるのです。
精神科の先生からの質問は「あなたの短所はなんですか?」というシンプルなものでした。私は「人に、あまり強く言ったり注意することができないところが短所だと思っています」と答えました。すると、「それは何故ですか?」と聞かれ、「言葉で人を傷つけるのが好きではないからです。」と答えました。「そうですか、医師は職場の皆を統率することも仕事の一つなので、注意したりすることも多いと思いますが。」と言われ、「そのように注意をしなくてはならないシチュエーションになればすると思います・・・もごもご」となってしまいました。
結果的に、「医師としての適正がない」ような答えになってしまったような気がして、「面接でもダメだったかもしれない」ととても落ち込みました。
病院決定!
私はミュージカルができる病院でなければ、別に出身校で良いかなぁと思っていたので、2つだけ受験しました。中には、自分の出身の大学病院1つだけ受けてあっさり済ませた同級生もいれば、どうしても東京都内の有名病院が良いと、沢山の病院を受けた同級生もいました。夏の間に試験がほぼ終わりますが、マッチング結果が発表されるのは、10月末頃だったと思います。10月末に、ネット上で発表がありました。親友とパソコンで横に並び、結果を一緒に開くと、なんとお互いに第一希望の病院にマッチしていました。ついに、憧れの病院で働けることになりました。そしてこれが、私の人生で、初めての第一志望合格となりました。
今回も最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。大学時代もそろそろ終わりにさしかかっています。次回は、国家試験を受け、いよいよ研修医生活が始まります。思ったよりも「Dr.Kのあゆみ」が長くなっていますが、もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。次回もご覧いただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
にほんブログ村に登録しています。ランキング形式になっています。
多くの方に読んでいただけたら嬉しいので、
もしよければ、この下のバナーをクリックお願いします!
(クリックすると、にほんブログ村のサイトへアクセスします。)
にほんブログ村