人生のこと、考え方

「人生このこと・考え方」Vol.15(『鬼滅の刃』のアニメ版を見ました)

『鬼滅の刃』のアニメ版を見ました

『鬼滅の刃』のアニメ版を見ました

ミーハーな私


私はどちらかというとミーハーで、流行っているものとかは気になって一通り経験しておきたくなります。

ポケモンGOが流行った時、当時秋葉原に職場があったのですが、たくさんの大人が携帯の画面を覗き込みながら、ぞろぞろと移動する姿に何だか新しい時代が来たような感じがして、私もやってみたくなり、インストールしました。

ポケモンGoは1年半近くやって、トレーナレベル40になり、自分の生活がかなりポケモンGoに支配されてきたので(笑)、思い切ってやめました。

妹から「『鬼滅の刃』は観た方が良いよ」とずっと言われていて、これだけ流行っているものにはワケがあると思い気になりつつも、手を出していませんでしたが、先週の3連休でついに見ました。

見たといってもアニメ版のみで、漫画も映画もまだ見ていません。
今回は、アニメ版『鬼滅の刃』を見て、私なりの感想を書いてみたいと思います。

感想を書き始める前に・・・
主人公の竈門炭治郎風のイタムくんを書いてみました。

イタム炭治郎風

『鬼滅の刃』の感想①観終わった後の率直な感想


『鬼滅の刃』正直、面白いと思いました。

子供向けなのかなぁ?と思っていましたが、見終わった時の感覚が『ハリーポッター』を全部見終わった時の感覚に似ていました。

私がこの2作に共通していると思うところは、丁寧に『闇』の部分を描いているところです。
ハリーポッターも中盤から後半にかけては、人の本質の中でも『闇』の部分を少し怖いなぁと思うくらいにしっかりと描かれていました。

『鬼滅の刃』は思った以上にグロテスクなシーンがありました。
ただ、主人公である竈門炭治郎の前向きに明るいキャラクターと、合間に繰り広げられるコメディタッチの部分のおかげか、暗くなりすぎずに見ることができました。

そして「闇」と「光」は対になっており、この2作ともきちんと「闇」があれば「光」も描かれているので、希望がありました。
思った以上に深い作品でした。

『鬼滅の刃』の感想②今の時世に合っていると思う


たとえ「これだけは絶対変わることのないだろうと思われるルールも、絶対ということはない、自分で判断することが大切だ」というメッセージを感じました。

今まさに新型コロナウイルス感染症下で、これまで当たり前と思ってきた日常やシステムが上手く機能しない中で、個人個人が判断する必要性が出てきたことや、絶対と思ってきたことも変えざるをえないことも多々出てきています。

そんな中、どのように判断してみたら良いのかということを教えてくれるような感じがしました。

そういう風に感じた印象深かったシーンは、アニメ版の1話目(だったと思います!)でした。

【ネタバレ注意です!!】
主人公の「炭治郎」が初めて、鬼化してしまった妹の「禰豆子」に襲われます。
ところが、襲っている途中で、炭治郎に気付き涙する禰豆子と炭治郎の元に、鬼殺隊の柱である「冨岡義勇」がやってきます。

鬼殺隊としては、「相手が鬼であれば有無を言わず殺すのが仕事」なのですが、冨岡義勇は、鬼化しているにも関わらず「兄を守ろう」とする禰豆子に「この鬼は何か違うものがある」と感じて、殺しません。
冨岡義勇は炭治郎が目指している「いつか禰豆子を人間に戻す」ことを叶えるという目標を叶えるために、「炭治郎は禰豆子を連れて「鬼殺隊」になる」ことが良いと考えます。

もちろん、鬼殺隊が「鬼を連れ歩く」ということは戒律違反であり、前例がないことです。
しかし、冨岡義勇はこの方法が「炭治郎と禰豆子にとっては最良の方法だ」と判断したのです。
そして、炭治郎に自身の師匠である「鱗滝左近次」を尋ねるように言い残し、鱗滝左近次には、冨岡義勇自身がそのように判断した理由を手紙で送ります。

私はこの、冨岡義勇の手紙の中の「そのように判断いたしました」
という文章が特に好きでした。

ものごとには絶対というものはなく、その時の自分自身が最も良い方法と判断していくことの繰り返しだと思うのですが、今の時世ではこの「自分自身で何らかの判断をする」ということがより求められている感じがしています。
私は1話目からこの冨岡義勇の判断に感動しました。

『鬼滅の刃』の感想③思ったことをきちんと伝える大切さ


『鬼滅の刃』には個性あふれるたくさんの登場人物が出てくるのですが、皆が「自分自身が思うことを、きちんと伝える」ことが印象的でした。
皆と書きましたが、実際は皆ではありません。

鬼は思ったことを全て口にできるわけではありません。

【ネタバレ注意です!!】
鬼は、基本は不死身ですが、人間が鬼を殺そうとすると、
①日光を浴びる もしくは ②鬼殺隊がもつ特別な刀「日輪刀」で首を切る
この2つの方法でしか、死にません。

これ以外の方法では、傷を負わせたとしてもすぐに回復してしまいます。

しかし、もう1つ鬼たちが死ぬ方法があります。
元々は人間であった鬼たちは、人間時代に、鬼の始祖である「鬼舞辻無惨」という鬼の血を分け与えられることにより、鬼化します。
鬼舞辻無惨は、鬼たちに血を通して支配の呪いをかけており、鬼舞辻無惨の意にそぐわなければ血の呪いを介して、すぐに鬼たちを殺すことができます。


鬼殺隊員たちは、自由に思ったことを口にし、時には喧嘩になりながらも、調和がとれています。

私自身は、時に思ったことを口にするのを我慢してしまうことがあります。

それは、思ったことを口にすることで、その場の雰囲気が悪くなったり、乱れることを避けたいと思っていたからでしたが、『鬼滅の刃』を見て、思ったことを口にすることって、案外我慢するよりも場が調和する方向にいくのではないか?と思いました。

結局、その場で思ったことを口にするのを我慢したとしても、後から「愚痴」になってしまうのでは、かえって調和はとりにくいのかもしれません。

私も今後、もっと「思ったことを口にできる」ようにと思っています。
もちろん、相手への敬意と思いやりをもつことが、「思ったことを口にする」際の大前提だと思っています。

また、面白いなぁと思ったのは、不死身ではない「人間である鬼殺隊員たち」の方が、自由に自分が思ったことを伝えるシーンが多い一方で、不死身である「鬼たち」の方が、自分自身が思ったことを自由に発言できない場面が目立つところです。
これに関しては、鬼殺隊員たちの上司である「産屋敷耀哉」と、鬼たちの上司である「鬼舞辻無惨」の部下に対する態度の違いでもあるので、次項で合わせて書きたいと思います。

『鬼滅の刃』の感想④異なる二つの上司像


前述したように、鬼殺隊員たちの上司と鬼たちの上司の異なる二つの上司像もまた『鬼滅の刃』の魅力の一つだと思います。

【ネタバレ注意!!】
鬼たちの上司である「鬼舞辻無惨」は、恐怖の支配で部下たちをコントロールしています。
鬼たちは、常に「鬼舞辻無惨」の名さえ呼べず「あの方」と呼び、鬼舞辻無惨の意に反するとすぐに殺されてしまうので、常に怯えています。

自由に発言することができないのはもちろんのこと、自分の心の中で思ったことまでも読み取られて、殺されてしまいます。

その結果、鬼たちの間でも支配的なコントロールをすることも増えます。

作品中では、部下にそのような支配をしてしまうのは、「鬼舞辻無惨」自身が常に怯えているためだという指摘もありました。

一方、鬼殺隊員たちの上司である「産屋敷耀哉」は、隊員から尊敬され、すごく統制はとれていますが、隊員たちは自分の意見をきちんと上司に向け発言します。
産屋敷耀哉は、自分の意見を一方的に押し付けるのではなく、隊員たちの発言をきちんと受け止めた上で、判断し、結論を出します。

部下を「子供達」と呼び、愛情をかけて見守り、そして信頼していることがわかります。
その結果、隊員たちも、自分の弟子に対しても愛情をもって接します。

※「産屋敷耀哉」は今のところ、私にとってはミステリアスな存在なので、現時点での感想です。
今後、ミステリアスな産屋敷耀哉について知っていくことがとても楽しみです。

この2人の異なる上司像は、端から見るととても対照的でわかりやすく、明らかに「鬼舞辻無惨」タイプの支配するタイプの上司は嫌だなぁと思ってしまいますが、鬼舞辻無惨ほどではないプチ支配タイプは比較的多いと思いますが、どうでしょうか。

『鬼滅の刃』の感想⑤「鬼」になるか「鬼殺隊」になるかは紙一重

【ネタバレ注意!!】
鬼たちは元々人間でした。
炭治郎の妹の禰豆子は違いますが、人間だった頃に「コンプレックス」や「やるせない感情」、「怒り」などを持っていて、そこに「鬼舞辻無惨」が血を分けて、鬼にしています。
どちらかというと、どうしようもなく困っていた時に「甘い顔をした鬼舞辻無惨が手を差し伸べてきて、その手を取ってしまった」感じを受けます。

一方、炭治郎と同期で鬼殺隊になった「我妻善逸」という少年がいます。
「我妻善逸」の過去の回想シーンでは子供の頃からコンプレックスが強く、大変なエピソードが描かれていました。
しかし、「我妻善逸」少年には、「桑島慈悟郎」という師匠が手を差し伸べ、どんなにできなくても、最後まで自分を信じてくれる存在として、「我妻善逸」の心を支えていました。

これを見た時、「鬼」になるか「鬼殺隊」になるかは紙一重だなぁと思いました。
誰に「手を差し伸べてもらうか」、そして「誰の手を取るか」によって、大きく人生が変わっていきます。

ただ、ここで重要なのは「誰に手を差し伸べてもらうか」は自分次第だということだと思います。

鬼になった人間たちは、誰かに敵意を向けていたり、陥れようとしていたり・・・と私から見ても少し「陰の気」が漂っていました。
 ※相手の好意に気づけないだけであったり、相手が悪かったりと様々シチュエーションの中で、鬼になった人間たちへ共感できる部分が多かったです。

一方、「我妻善逸」は抜けているところもありますが、とっても優しく、信じる力が強く、可愛げもあり、少なくとも「陰の気」は感じません。
私はここがポイントだと思います。

どんな時も、腐らず、自分自身にできることをやっていくことで、「陰の気」をまとわずにすみ、その結果「手を差し伸べてくれる誰か」が味方をしてくれるのだと思います。


久しぶりの更新となりましたが、今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
アニメで途中までしか見ていない中でしたが、思っていた以上に深かった『鬼滅の刃』の感想を書いてみました。

今の時代にこそ、生きる勇気をもらえる、そんな作品だなぁと思いました。
なかなか行く時間がなさそうですが、映画も見たいなぁと思っています。

個人的に『鬼滅の刃』バージョンのイタムくんをノリで書いてみたのですが、思ったよりも可愛くて、テンションが上がりました。
寒くなってきましたので、皆様お体に気をつけてお過ごしください。
次回もぜひご覧ください。


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ABOUT ME
Dr.K
都内在住の30代女性。 内科医として、西洋医学・東洋医学を学び、現在都内で勤務医をしています。 自身が幼少期から気管支喘息、アレルギー体質であり、また大学時代の左前十字靭帯断裂後手術を受け、そして現在、変形性股関節症と向き合っています。 このブログでは、私自身が抱える健康問題に関して、西洋医学・東洋医学・代替療法・民間療法・スピリチュアル的なアプローチなど、興味が湧き、自分で納得したものを取り入れ、その結果をシェアしていきたいと思います。ゆくゆくはHolistic(ホリスティック)医学(=人間をまるごと全体的にみる医学)を提供できる医師を目指しています。