人生のこと、考え方

「人生のこと・考え方」 Vol.2(「3日坊主」のススメ)

3日坊主のススメ

「人生のこと・考え方」 Vol.2(「3日坊主」のススメ)


これまでの「人生のこと・考え方」シリーズ過去記事はこちら

「3日坊主」


私は、何かを始めて「3日坊主」に終わってしまうことがよくありました。
何かを始める時に「また3日坊主になるかもしれない」という思いは、常にどこかにありました。
そういう心持ちになるにはどうしてなのかな?と気になりました。


「3日坊主」を広辞苑で調べると・・・


飽きやすく何をしても永続きしないこと。
また、そういう人をあざけっていう語。
例)日記は三日坊主で終わった


と書いてありました。
「何をしても永続きしない人をあざけって」と、広辞苑にも「あざける」という言葉が載っていたことに驚きました。
「3日坊主」という言葉のもつ独特なネガティブさが理解できたように思います。

「継続は力なり」「努力は実る」は美しい?!


なぜ「3日坊主」にネガティブな意味付けがなされてしまったのでしょうか。


「継続は力なり」と言うように、確かに何事も小さなことをコツコツと積み重ねることにより、大きなことを成し遂げることができるというのは、その通りだと思います。
日本でずっと教育を受けてきた私たちの潜在意識には、「継続は力なり」や「努力は実る」と言った言葉は美徳として、そして「成功への道筋」としてインプットされている面があります。
そして「3日しか続けられない」3日坊主は、この「コツコツと積み重ねる」という道筋から逸脱してしまった残念なこととされるようになったのでしょう。


教育はある意味で「洗脳」という側面を持ち合わせているので、私も例にもれず「継続」や「努力」は美しいと感じる自分もいます。
そうすると、「継続」や「努力」が目標となってしまい、「継続・努力している自分」に満足しがちになってしまうことがあります。
一方で、人生「継続は力なり」や「努力は実る」と信じて頑張ってきても、必ずしも報われることばかりではないということは、誰しも経験しています。
経験してわかっているはずなのに、美徳とされている「継続」や「努力」が重要だという考え方がなかなか抜けません。


自分がそう信じて頑張っているにも関わらず、結果が出ない時などは、あまり頑張っていないように見える(表面上そう見えているだけのことも含めて)人に対して「ズルい」などのネガティブな感情が湧いてきたりします。
自分自身で解決すべき問題なのに、勝手に他人と比較して、他人への嫉妬から、「こんなに頑張っている自分、努力している自分」を認めてもらいたいと「努力」の面にフォーカスするという矛先の転換をしてしまうこともよくあるパターンだと思います。

最近では特に、「パッと始めてみてパッとできる」ような子供や、大人でも突然始めた分野で才能が開花する人が多いように感じます。
「小さなことをコツコツと積み重ねる」のはもちろん大切ですが、「小さなことをコツコツと積み重ね」なければ何もなし得ないわけではない、つまり「小さなことをコツコツと積み重ねる」というのは十分条件であっても、必要条件ではないと思っています。
必ずしも、「継続」や「努力」だけに主眼を置く必要はなく、特に無意識に「継続」や「努力」が目標になっているのであれば、少し要注意なのかもしれません。

「3日坊主」のススメ


そこで、「継続する」「努力を続ける」だけが美徳ではないんだ(もちろん「継続」「努力」できることは素晴らしいということは前提にあります!)ということを、改めて伝えたいと思いました。
「たまには継続も努力もせずにすぐにできちゃっても良い」、「すぐにできる人がいても良い」、世の中たくさんの物事に溢れているので、相性が良くてまるで何十年もやってきたかのうように進めることができることもあるはずです。


そこで、私は「3日坊主」をお勧めしたいと思います。
人間が「3日坊主」になってしまう理由は・・・
①「忍耐力」がなくてなかなか続かない自分が原因
②「つまらない」、「自分に合わない」など、対象の物事が原因


この2点のうち、広辞苑の定義に載っている「三日坊主」は、明らかに①のみを言及しています。
私はどちらかというと②の方が多いのではないかと思っています。


私自身、日記的なもの(3日坊主で日記とも呼べない!)をつけては「3日坊主」で終わり、またつけ始めては終わりというのを繰り返したり、運動や勉強を習慣としようとしたりする中で、3日坊主で終わる事の方が正直9割近くを占めています。
ただ、興味はどんどん湧いてしまうので、すぐにやってみたくなるのです。
この9割の中には、トライアンドエラーとしてやってみたことが数多くあります。


このブログでも紹介した、「エゴスキュー」や「このブログを書く事」は3日以上続いていて、自分でも驚いています。
「やりたいことは3日以上ちゃんとやるんだ」と、「3日坊主」気質にネガティブな印象を持っていた私はホッとしたと同時に、急に「3日坊主」がとても健康的なことのように感じるようになったのです。


「やってみて、自分に合うもの、長く続けていきたいことを取捨選択していく」、特にやりたくないことをずっとやらないというのは、とても健康的だと感じます。
学校などで一律に提示される課題などが、全員同じように継続できることの方が奇跡的なように感じられます。
と言っても、私自身は「平成体育会系の考え方」が根深く、今やその考え方は好きではないにも関わらず、ちょくちょく顔を出してくるので、学校時代にある程度「忍耐力」を学ぶということも大切だとは思っています。
一方で、今の自分自身「令和自分軸系の考え方」としては、興味の赴くままに挑戦してみて、「あ、違った」と感じること、どんどん「3日坊主」を重ねていくことというのは悪いことではないと感じます。数打って自分に合うやり方に出会うような感覚です。一本釣りで合うものが見つかった人はラッキーですが、見つからなかった人も心配ご無用で、興味の赴くことを手当たり次第やっていけば、いずれ自分に合うスタイルが見つかると思います。
そう考えると「3日坊主」もなかなか悪くない!です。


今回、ブログを始めるにあたり、「3日坊主」に終わった3日程度の日記的なものが、沢山見つかり、それをかき集めると2週間程度にはなっていて、ブログを書くのにとても役に立ちました。
「3日」でもトライしておくと将来役に立ちそうです。「3日坊主」を恐れて、「1日目」を踏み出さない方がもったいないように思います。
そして「3日以上」続いていったことを大切にコツコツ育てていき、継続・努力していけばよく、3日以上続いたものは意外とその努力も「うわぁ、努力しているわ」と感じずに、いつの間にか振り返ると「努力した」んだなと感じるように熱中できるのかもしれません。


将来、広辞苑がの「三日坊主」が

「三日坊主」 始めたものの続かず終わってしまったこと。
 例)「今回の挑戦は三日坊主だったから、次に挑戦したいことを見つけよう」


などに変わっても良いのではないかと密かに思っています。


今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
言葉に縛られていることって意外とあるのではないかなと思っています。
だんだんとそういうしがらみからも抜け出して良い時なのではないかなぁと思うので、またこういうブログも書いていきたいと思っています。
次回も是非ご覧ください。よろしくお願いします。


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ABOUT ME
Dr.K
都内在住の30代女性。 内科医として、西洋医学・東洋医学を学び、現在都内で勤務医をしています。 自身が幼少期から気管支喘息、アレルギー体質であり、また大学時代の左前十字靭帯断裂後手術を受け、そして現在、変形性股関節症と向き合っています。 このブログでは、私自身が抱える健康問題に関して、西洋医学・東洋医学・代替療法・民間療法・スピリチュアル的なアプローチなど、興味が湧き、自分で納得したものを取り入れ、その結果をシェアしていきたいと思います。ゆくゆくはHolistic(ホリスティック)医学(=人間をまるごと全体的にみる医学)を提供できる医師を目指しています。