「人生このこと・考え方」Vol.9(外来診療での1コマ「緊張しても良いんですか?」)
これまでの「人生のこと・考え方」シリーズ過去記事はこちらです
「緊張しても良いんですか?」
今回は、外来診療中の患者さんとのやり取りの中で印象的だったお話を書きたいと思います。
東洋医学は「心身一如」といった、心と体が互いに強く影響し合うという考え方があるため、一般内科の診療と比べて、どうしても精神的な部分に触れる機会が多くなります。
精神的なストレスを感じるのはどういう時か?
その時の心と体の反応はどうか?
不安や焦りを感じるタイプか、それともイライラしたり怒りっぽくなるタイプか?
など、原因から反応まで人それぞれです。
今回ご紹介するお話に登場する患者さんをAさんと呼ぶことにします。
Aさんは前回の受診の際には、「コロナウイルスの影響でスーパーに行くにしても何にしても不安がある」と話され、さらに「何か慣れないことをやろうとするととにかく緊張する。緊張している自分に気がついて、ばかばかしくなる」とおっしゃっていました。
それから2ヶ月近くたった次の外来では、
Aさん 「コロナウイルスに関しての不安は、だんだん大丈夫になってきました。怖くないとかではないのですが、今の状況に対して順応してきたといった感じです。」
とこの2ヶ月で、今の状況へと前向きに順応されていました。
その後
Aさん 「ただ、習い事をしている時に先生の前で毎回緊張してしまうとか、慣れない電車に乗る時とかとても緊張してしまいます。理屈では緊張する必要がないと思っているのに、この年になって本当に嫌になりますね。これって性格だから仕方ないんですか?」
とおっしゃっていました。
Aさんは50歳台の女性です。
私は、習い事の場で、先生の前で一生懸命教えてもらったことをやろうとしているAさんを想像して、とても微笑しくなりました。
私は、
「性格はどうしても関係しますね。
この日本で教育を受けて、周囲の期待に応えるとか、結果を求められるということを一生懸命クリアしてきて、何をするにも期待に応えようと頑張る人もいれば、全くそこには興味がなく、期待や結果は気にしないという人まで様々だと思います。
きっと、Aさんは習い事の度に、教えてもらったことをきちんとできるようにしたい!と頑張るからこそ、緊張するんですね。
緊張したって良いんですよ。
緊張したことがとっても不快にならない限り、緊張することって悪くないんですよ。」
とつい言ってしまいました。
Aさんは、自分自身で「緊張すること」や「緊張している自分」に対してネガティブなイメージをもっているように思えたので、「緊張することも悪いことじゃないんですよ」と自然に伝えたくなりました。
このお話をしたところ、Aさんは目を丸くして
「緊張しても良いんですか?」
とおっしゃいました。
「緊張するって素晴らしい」と思う
私は
「もちろん、緊張しても良いんですよ。
人って緊張する場面があるというのはとても幸せなことかもしれません。
先生の前で何かをしたりと、人前で何かを披露する場面があるのは素敵なことだし、それだけ一生懸命になっているということで、そういう趣味に出会えることって貴重なことですよね。
だから、これから緊張した時には、体の反応を楽しむと良いですよ。」
と続けました。
Aさんは
「確かに、この年になると、仕事もずっと長年やってきたもので、今更緊張することもないし、家庭でも緊張することなんてないし。
そう言われてみると、緊張するシーンがあるって張りがあって良いですね。
少し楽しんでみたいと思います。」
とおっしゃいました。
これって、「緊張すること」という現象に対しての捉え方を1つ変えただけで、「緊張」というのが
「してはいけないこと、ばかばかしい気持ちになること」から
「緊張する機会があって素晴らしいこと」に一瞬で変わったような気がして、普段、ものごとはできるだけ多面的に捉えるようにしたいなぁと心掛けているので、わかりやすく体感できて嬉しくなりました。
「年齢」と「緊張」
今回はたまたま、Aさんに対して、「緊張を楽しんでください」とお話しましたが、これは皆さんに当てはまるものではないと思っています。
今回の記事でお話したいことは「緊張を楽しんでください」ということではありません。
「年齢」と「緊張」の関係性を考えてみたいと思います。
「年齢」と「緊張」の2つの関係は、比例するものでしょうか?反比例するものでしょうか?
私は、比例する面と、反比例する面と両方を持ち合わせていると思います。
具体的にいうと・・・
①「年齢」を重ねるとともに、これまで簡単にできていた動作ができなくなったり、新しいテクノロジーなどへの順応が少し苦手と感じるようになった場合に、苦手なことを行わなければならない状況になると「緊張」することが増える。
こういう比例する面もあれば、
②「年齢」を重ねることにより「経験」が増えて、ちょっとやそっとのことでは動じなくなり、「緊張」する状況に身を置くことが減る
というような反比例する面もあリます。
なので、人によっては「緊張すること」が活動を制限するものにもなりかねません。
そういう味わいたくない「緊張」は楽しんでくださいなどとは言いません。
「緊張する」場面を避けたい、誰かに助けてもらいたい、それで良いと思います。
その助けは、物理的・物質的な支えかもしれませんし、見方を変えることによって楽になるような支えなのかもしれません。
でも共通して言えることは、「緊張しても良い」んです。
自分にとって楽しい「緊張」も、不快に感じる「緊張」もいずれにせよ、ちゃんと自分自身の状態や感情を教えてくれるものだからです。
楽しいことが分かったり、苦手なことが分かったり、いつまで経っても慣れないことが分かったり、いつの間にか克服していることに気付いたり・・・
そして、「緊張」って自分でコントロールできるものではないからこそ、より自分自身の状態をわかりやすくしてくれるものかもしれません。
自分自身を知ることができる機会ってそんなに多くはないので、大切な状態です。
そういう1つ1つの身体のサインに向き合うことで、心・身体・魂を整えていくことができるのではないかと考えています。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は「緊張すること」という状態を考えてみました。
たった1つの「緊張する」という状態だけでも、多角的な捉え方ができるなぁと改めて思いました。
そして、色々な局面で「緊張」を感じている人がいるだろうから、楽しめる「緊張感」の方は、楽しんでもらえたらと良いなぁと思いますし、楽しめる状況でない「緊張感」の中にいる方は、何らかの方法で肩の荷をおろしていただけたらなぁと思います。
楽しくない「緊張感」は、「環境」や「価値観」からのプレッシャーによって生み出されることも多いと思うので、皆が自分らしくのびのびと過ごせるように、互いに思いやりをもって生活できたらなぁと思います。
次回もぜひご覧ください。
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